- いちにち8ミリの。
- 価格(税込):1,365円
これが天才作家のDNAだ!
中島らもの娘が描く、新感覚ファンタジー
――小説家デビュー、おめでとうございます! 自分の小説が本になるって、どういう気持ちですか?
最高に幸せです! 初めて書き上げた小説をたくさんの人に読んでいただいて。装丁も素敵で、こんな立派な本が自分の本かと思うと、今でも夢心地です。
――初めて書き上げたということは、もともと小説家志望だったわけではない?
小中学生の時から文章を書くことは好きでしたが、その時はあくまで趣味の一つとしてでした。学校の余興用に漫才やコントの台本を書いたり、家で戯れの小説を書いたり。小説といっても当時は、物語の初めと終わりだけ書いておしまい(笑)。「映画化されたら」と想定してキャスティングを考えるとか(笑)、とにかく自分の頭の中だけで勝手に遊んで満足していましたね。
ところが、6年前に父が亡くなって、文庫解説や追悼文を書かせていただいたのがきっかけで、エッセイや雑誌の取材記事を書くようになりました。文章を書くことが仕事になったのは、つい最近のことです。
父は私が書いたコントの台本を読んで、よく「このネタ、面白い。使える」と笑っていました。私がバンド活動ばかりしていた頃も、「君は書くことに向いてるから、どんどん書け」と言って、何度かエッセイのお題を出されたことも。だから、このデビューを誰よりも喜んでくれていると思います。
――“中島らもの娘”ということで、どうしてもお父様と比べられてしまうと思いますが、その点については?
不思議と、まったくプレッシャーはありません。幸い、父はエンターテインメントや私小説、芝居の脚本や音楽と、作風やジャンルが幅広い。ファンのかたも柔軟で、私の文章を面白がって読んでくださる懐の深さがあります。「ユーモアや奇想天外なところがお父さん譲り」と言っていただいたこともあります。
――本作に収められている3つの話、それぞれの誕生秘話を聞かせてください。
まず、表題作の『いちにち8ミリの。』は、2008年の正月に「今年は小説を書くぞ!」と目標を定めて、すぐにプロットを考えました。半年くらいあれこれと構想を練っていたところ、偶然にも私が考えていた話と同じ設定の映画が公開されて…。
実は、初稿段階では2部構成になっていたんです。第1部が本に収録された表題作。第2部は、病気で全身マヒになった男性が、恋する女性に想いを伝えたくて、毎日目や舌を動かそうと努力するというものです。つまり、舞台となる村も登場人物も、すべて彼の頭の中のでの出来事という設定でした。その第2部が、映画とかぶっていたんですね。それで「早く書かなきゃ!」と、アクセル全開で書き上げました。モタモタしていたら、また同じような設定の作品が次々発表される世界なんだと思いました。
次に誕生したのが『ゴリづらの木』。これは、私がいたロックバンドの曲名から着想を得て生まれた作品です。“ゴリづら”という単語を聞いた時に、顔の皮膚がガサガサなのを気に病んで、木に登ったまま下りてこない男の子の姿が、ふと頭に浮かんだんです。
『手裏剣ゴーラウンド』は、単純に忍者が好きという理由で書きました。大人になった今でも「忍者が遊びに来ないかな」「もしかしたら屋根裏でこの話を聞いてたりして」と妄想することがしょっちゅうで(笑)。いい年をしたオッサン忍者が定年前のひと仕事をするという渋さが気に入ってます。
――小説を書いてみた感想は? エッセイや取材記事とは違いましたか?
ライターとして書く記事は、情報を正確に伝える使命があって、“はみ出す”ことができません。エッセイでもある程度の制約があります。それに比べて小説は面白いと思えば非現実でもいいし、普段言いにくいことだって登場人物に言わせちゃう(笑)。その自由さが楽しくて! 今は圧倒的に小説にはまってます。
――最後に今後の夢を。
本が出版されただけで感謝しているんですが、絵本やアニメになって具象化された自分の作品も叶えば見てみたいですね。それと、「物語にテーマ曲をつくる」みたいな、小説と音楽のコラボも機会があればやってみたい。もちろん、小説はずっと楽しく書き続けていきたいです。書きたい話がまだまだいっぱいあるんですよ。
1978年兵庫県生まれ。父は故・中島らも。2006年よりライターやエッセイストとして活動を開始。
本書が小説デビュー作となる。エッセイ集として『かんぼつちゃんのきおく』がある。